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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)8086号 判決

原告 血脇昭

右訴訟代理人弁護士 秋山昭八

同 石川良雄

被告 平田治男

右訴訟代理人弁護士 平田辰雄

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の申立

1  原告

「被告は、原告に対し、金一、二一三、四三三円およびこれに対する昭和四二年七月一九日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。」

との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

2  被告

主文同旨の判決を求める。

第二、当事者の主張

1  原告の請求の原因

一、原告は、昭和四一年一〇月一〇日から昭和四二年二月一六日までの間、訴外津久井こと柏倉立美に対し、継続的に製靴材料を売り渡し、二、二〇四、四四〇円の売掛金債権を有していたが、東京地方裁判所に対し、同人を被告として、右売掛金請求の訴を提起(同裁判所昭和四二年(ワ)第三、七一八号)し、同年七月七日仮執行宣言付訴訟判決をえた。

二、原告は、これよりさき、同年三月二五日、訴外柏倉に対する右債権に基づき、同人の被告に対して有する同日現在の製靴材料売掛金債権二、二一三、四三三円について、同裁判所において仮差押決定(同裁判所同年(ヨ)第三、二八〇号)をえ、同決定は、同月二九日被告に送達された。原告は、さらに、同年七月一五日、前記判決の執行力ある正本に基づき、右仮差押の対象となった債権につき債権差押および取立命令を申請(同裁判所同年(ル)第三、二六五号)してその命令をえ、右命令正本は、同月一八日被告に送達された、なお、被告は靴の製造販売を業とする者である。

三、よって、原告は、被告に対し、右転付金一、二一三、四三三円およびこれに対する売買の目的物引渡の後である昭和四二年七月一九日から支払ずみまで商法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する被告の答弁

請求原因事実は認める。

3  被告の抗弁

一、昭和四二年三月二〇日現在、被告の訴外柏倉に対する製靴材料買掛金債務は一、五一四、一四九円であった。

二、被告は、同年二月二二日柏倉が振り出した金額五〇万円の為替手形一通(振出日同日、振出人・受取人柏倉立美、支払人被告、満期同年七月二五日、支払地・振出地東京都台東区、支払場所大和銀行雷門支店)に引受の旨記載し、これを右債務の支払のため柏倉に交付した。

柏倉は、そのころ、右手形を訴外株式会社小泉商店に裏書譲渡したが、同年六月一五日、被告において同手形の支払銀行を変更する必要が生じたため、被告は、新たに柏倉が同月一〇日振り出した。支払場所を第一銀行雷門支店としたほか他の記載事項は右手形と同様である為替手形一通に引受の記載をして、右株式会社小泉商店に交付し、前記手形と差し換えた。

被告は、差換後の右手形について満期にその所持人である同商店から呈示を受けて、その支払をした。

三、被告は同年三月二二日、柏倉が振り出した金額三〇万円、二二万円、一〇万円、八万円の為替手形計四通(いずれも振出日同日、振出人・受取人柏倉立美(ただし、金額八万円の手形のみは白地)支払人被告、満期同年七月三一日、支払地・振出地東京都台東区、支払場所第一銀行雷門支店)にそれぞれ引受の旨記載し、これを前記買掛金債務支払のため、柏倉に交付した。

さらに、被告は、同月二四日右金額三〇万円および二二万円の各手形を、同月二五日同一〇万円の手形を、柏倉から割引料は日歩三銭、割引金合計約五九五、〇〇〇円で割り引き、その裏書を受けた。右三通の手形は、被告において、満期に決済した。

柏倉は、右金額八万円の手形を、引受の当日、訴外石橋三千行に交付して譲渡し、その後石橋は、振出人受取人として自己の名を補充したうえ訴外小林関太郎にこれを裏書譲渡し、被告は満期に所持人である右小林から呈示を受けてその支払をした。

四、このように代金債務の支払のため、為替手形の引受をした場合、その後に代金債権の仮差押、差押がなされてもその効力は手形金債権に及ばないから、右代金債務のうち一二〇万円は、右五通の手形が満期に支払われ、または決済されたことによって消滅したものといわなければならない。

五、被告は、昭和四二年三月七日ごろ、柏倉に金三〇万円を貸し渡したが、同月二二日ごろ、同人に対し、右貸金三〇万円と、被告の同人に対する前記買掛金債務とを対当額において相殺する旨の意思表示をした。

六、同月二二日ごろ、柏倉と被告の間で、合意により、前記売掛代金債務中、一四、一四九円を減額した。

七、結局、前記売掛金債権中三一四、一四九円は、仮差押前に右相殺および減額がなされたことによってすでに消滅しており、残額一二〇万円も、仮差押、差押当時は存在していたが、その後前記各手形が支払われ、決済されたことによって消滅したものというべきである。

4  抗弁に対する原告の答弁

一、抗弁第一項の事実中、被告の債務額が、一、二一三、四三三円をこえていたことは知らない。

二、同第二、三、五、六項の事実は知らない。

かりに、被告主張のような手形五通(書換手形を除く。)が振出、引受されたとしても、その振出、引受の日が被告主張のとおりであることは否認する。その振出、引受は、いずれも仮差押後になされたものである。

三、同第四、七項は争う。

本件のように、代金支払のため、為替手形の引受がなされている場合において、手形の支払または決済前に代金債権が差し押えられたとき、債務者は、その後手形を支払い、または決済したとしても、差押債権者に対する関係では、これによる代金債権消滅の主張をなしえないと解すべきである。これが手形関係の当事者と差押債権者の利益の調和をはかるうえにおいてもっとも妥当な結論というべきであり、この点の被告の主張は失当である。

5  原告の再抗弁

かりに、被告主張のとおり、その主張の日に右五通の手形が振出、引受、裏書されたとしても、これは、被告と前記柏倉、石橋、小泉、小林らが通謀し、原告らから柏倉の右代金債権が差し押えられる場合に備え、その差押を有名無実とするため、手形の支払によって右債権が消滅するような外観を作出する目的でした虚偽の意思表示であるから無効である。

6  再抗弁に対する被告の答弁

再抗弁事実は否認する。

第三、証拠〈省略〉

理由

一、請求原因事実は当事者間に争いがない。

二、そこで、被告の抗弁について判断する。

(一)  〈証拠〉によると、昭和四二年三月二〇日現在、訴外柏倉立美の被告に対する製靴材料売掛代金の総額は一、五一四、一四九円であったことが認められ、その後、後記の柏倉の倒産までの間さらに被告に対する売掛金額が増加したことを認めるに足りる証拠はない。

(二)  〈証拠〉によると、(1)昭和四二年二月二二日、被告は、前記柏倉に対する買掛金債務の支払のため、辰已商店こと柏倉立美あてに金額五〇万円、振出日同日、満期同年七月二五日、支払地東京都台東区、支払場所株式会社大和銀行雷門支店の約束手形一通(以下「手形A」という。)を振出し、同月二三日柏倉は右手形を訴外株式会社小泉商店(以下「小泉商店」という。)に裏書譲渡し、同商店は同月二八日、株式会社大和銀行雷門支店においてその割引を受けたこと、(2)その後、被告は、右手形の支払銀行を株式会社第一銀行雷門支店に変更する必要が生じたので、小泉商店に依頼し、同年七月五日、右手形Aを大和銀行から買い戻して貰い、金額五〇万円、振出日同年六月一〇日、振出人柏倉立美、支払人被告、満期同年七月二五日、支払地東京都台東区、支払場所第一銀行雷門支店で、受取人を白地とした為替手形一通(以下「手形B」という。」に同年六月一五日付で引受の旨記載して柏倉に交付し、柏倉からこれを小泉商店に裏書し、手形Aと差し換えたこと、(3)被告は、右手形Bにつき、小泉商店から裏書を受けた所持人株式会社大和銀行から、満期に、受取人白地のまま、呈示を受け、その支払をしたことが認められる。

(三)  また、〈証拠〉を総合すると、(1)柏倉の経営状態は、昭和四二年三月二〇日ごろには極度に悪化していたが、同人は債権者らとも協議し、被告に対しても営業継続の意思を明らかにし、前記売掛金の支払を求めたこと、(2)柏倉と被告との間の取引では、代金の支払いは一応毎月二〇日締切り、翌月一〇日に満期まで一二〇日間から一五〇日間の手形で支払うことになっていたものの、被告としても、柏倉は主たる取引先であり、これが倒産することは極力回避したいところであったため、被告は、右買掛金支払のため、同月二二日ごろ、柏倉振出にかかる金額三〇万円(以下「手形C」という。)、同二二万円(以下「手形D」という。)、同一〇万円(以下「手形E」という。)の為替手形三通および振出人白地の金額八万円の為替手形一通(以下「手形F」という。)にいずれも引受の旨記載し、これを柏倉に交付したこと、(3)右各手形は、いずれも振出日、支払人、受取人が白地であり、満期は同年七月三一日、支払地は東京都台東区、支払場所は第一銀行雷門支店となっていたこと、(4)さらに被告は、柏倉の依頼をうけ、同年三月二四、五日ごろ、右手形C、D、Eの三通を日歩三銭の割引料で割り引き、その割引金を支払ったうえ、白地部分を補充しないまま、仮各である岩本元名義で柏倉から裏書を受け、満期に岩本元名義の口座でこれを決済したこと、(5)柏倉は、右手形Fについては即日、訴外石橋三千行にその白地部分を補充しないまま、交付して譲渡し、石橋は、その後振出人として自己の名を補充したうえ、訴外小林関太郎に裏書譲渡し、被告は、満期に、所持人である右小林から振出日、支払人、受取人は白地のまま、呈示を受けてその支払をしたこと、(6)被告は、柏倉から依頼を受け、同人の営業資金にあてるため、そのころ、毎月のように同人に対し、金二、三〇万円ていどを貸し与え、これと被告に対する買掛代金債務を相殺していたが、昭和四二年三月七日ごろも、柏倉に金三〇万円を貸し渡していたので、同月二二日ごろ、前記のように柏倉に対する買掛金債務につき、その支払のため、為替手形の引受をした際、柏倉に対し、右三〇万円の貸金をもって右代金債務と対当額において相殺する旨の意思表示をしたこと、(7)柏倉と被告との間の取引では、年二回ぐらい合意によって一回数万円ていど売掛代金の減額を行なっていたが、昭和四二年三月二二日ごろ、右手形引受の際あわせて、被告と柏倉の間において、右売掛代金中、その支払のため手形A、CないしFが交付されている合計一二〇万円および右貸金との相殺分三〇万円を除く残額から五万円を減額する旨合意がなされたこと、(8)柏倉は、同年三月二六、七日ごろ、不渡手形を出して倒産したことが認められる。

(四)  元来代金債務の支払のため、約束手形が振り出され、または為替手形の引受が行なわれた場合、原因関係ないし資金関係上の債権と手形上の権利は別個独立のものであるから、その後に代金債権の仮差押ないし差押がなされてもその効力が手形上の権利に及ばないことはいうまでもない。そして、本件のように仮差押以前に手形が債権者から他に譲渡されている場合、手形金の支払があり、または、債権者が手形を他に譲渡してえた対価を失うおそれがなくなったときには、代金債権は消滅するに至ると解すべきである。

以上の関係は、本件手形BないしFのように手形要件の一部が白地の場合においても同様であって、代金支払のため振り出され、または引き受けられた手形が白地であっても、代金債権と手形関係は別個のものであり、仮差押以前にその手形が債権者から他に譲渡されている以上、白地部分がついに補充されないまま、引受人によって支払われ、または決済された場合にも、代金債権は消滅するというべきである。原告は、手形の支払前に、代金債権が差押えられた場合、差押債権者に対しては、手形の支払による代金債権の消滅を対抗できないと主張するが代金債権と手形関係が別個独立のものである以上、代金債権の差押にそのような効力を認めるべきではないから、その主張は失当というべきである。

したがって、本件の場合、手形BおよびFが満期に支払われたことによって、その手形金合計五八万円に相当する代金債権は消滅したというべきである。また、手形C、DおよびEは、仮差押以前に、割引により被告自身が取得しているが、その際、柏倉は対価として割引金を取得しており、右各手形の白地部分が補充されず、被告の手にとどまったまま、呈示期間が経過したことによって柏倉はもはや右割引金を償還請求によって失うおそれがないことに確定したのであるから、これによって左各手形金に相当する六二万円の代金債権もすでに消滅したものといわなければならない。

(五)  原告は、手形A、C、D、E、Fの振出、引受、裏書が通謀虚偽表示であると主張するが、この点を認めるに足りる証拠はなく、かえって前記認定のような各手形の振出、引受の経緯に照らすと主張のような通謀の事実はなかったことがうかがわれるから原告の右主張は失当である。

(六)  また、柏倉の被告に対する売掛代金のその余の部分は、前記認定のような相殺および代金減額により、前記仮差押以前に消滅したものといわなければならない。

三、よって、被告の抗弁は理由があり、原告が差押および取立命令をえた柏倉の被告に対する売掛代金債権は、その一部は仮差押前に、その余の部分は差押後にいずれも消滅したものというべきであるから、右債権の弁済を求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

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